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サッカーも技術面の指導よりも個々の精神的部分の指導が一番難しい。
この精神的な向上があれば技術、フィジカルは一緒についてくるもの。 この精神面はサッカーをやっている時に関わらず、一生付いていくものである。 ある社会人の息子を持つ母親がぼやく。「息子2人男がいて社会人だけど、一応働いているから金銭的には自立しているように思うけど、精神的には全然自立してませんよ。未だに私とつまらないことで口喧嘩するしね。やっぱり一緒に住んでいるのが良くないのかしら」 「社会で揉まれる」こんなことをよくいうが、本当に揉まれるのは社会に飛び込んで、自分で身の回りのことをして、家庭を自分で持ち、子供を自分で育ててみる。ことになった時か? 僕は会社員になったことがないけど、会社員の人にはよく話を聞く。 会社には色々な人がいる。自分と、うまが合わない人間、気に入らない上司、同僚、仕事の出来ない人間。これ全部人間関係なんだけど、結局「自分がどうであるか?」ということになる。 部署にも出来る人間出来ない人間必ずいる。みんな会社に入社する時は面接というものをして採用、不採用が決定しているとおもうのだけど、そんなに一回、二回の面接で人間の中身が解る訳がないから、実際に仕事をさせてみないと判らない。 出来る人間の足を引っ張る。引っ張られる人間は当然引っ張っている人間に冷たくなる。 人間誰でもミスはする。出来る人間も最初はミスを繰り返してきたのだ。 しかし、出来る人間と出来ない人間との違いはこの後がポイントになると思う。 何度も言うけど、皆最初は出来ない、ミスもする。しかし、出来る人間は一度ミスを犯し厳しい言葉を上司、同僚から貰った瞬間に「気持ちを締める」のだ。 二度同じ事を繰り返さないために、出来なかったことをいつまでも悔やむのではなく、それをバネにしてそのミスを修正し同じことを繰り返さない。そして本当に出来る人間は、一度ミスしたらそれを修復して満足するのではなく、何かプラスアルファを持ってくる姿勢があるんだ。 サッカーの世界もこれに似ような場面がある。チームに同じミスを繰り返す選手がいる。 いつも怒られる。怒られる選手は「そういう風に言われるとやる気をなくす」と半ば逆切れをするようなコメントをする選手がいる。でもまず自分を振り返って欲しい。 明らかに「受身の精神」とでも云おうか、まず誰のためにやっているのか?決してその怒った人間のためにやっているのではないはず。ミスをしたことよりもミスした後の態度や、何度も同じミスを繰り返すことに対しての日常の修正の努力がなく総合的に怒られているのにも気付かず、怒った人間に対して意見を言うのは少々己を理解していないという判断にもなる。 その受身精神よりも、言われたら言われた人間に対して見返す精神、もう二度と言わせないように努力をする精神が前向きな姿勢だと思う。 一度二度のミスはプロでも犯す。しかし、プロは同じミスを何度も繰り返さない。 プロはミスを受け止め常に修正する姿勢を持っている。 しかし、とかく精神のベースがこれからという人間は、その同じミスをしているという事実をそっちのけにして、怒鳴った人間に「怒鳴ったから・・・」と言い訳をしている。そして一番良くないのはミスして頭を垂れて、足が止まる。 足が止まるということはミスをした現場にそのままいるということだから、それを観て怒鳴られるということに気付いていない。要は、ミスしたらミスしたなりの行動があるのではないかということだ。 ミスの修正をしに必死でボールを奪い返しにいくのを怒鳴った選手が追いかけて「バカ!!なんでミスしたんだ!!」とわざわざミスした選手の所へいってボールを回復している選手に向かって果たしてまた、怒鳴りにいくであろうか?サッカーの場合、試合は常に動いているからね。 会社内だったらミスを犯して上司に「バカ野郎!!」と言われている時間があるなら直ぐに修正してしっかりしたものを持ってくるという姿勢を行動で示すべきではないか。 仕事ができる人間、サッカーで仕事ができる人間、どんな世界でも共通して学べるものがある。だだ、出来ないのは能力がないのではなく自分の能力を信用していないし、気付いていないし、やる気がないだけで、何かと自分よりも人に対しての言い訳を探してしまうため、自分の「出来なかったこと」がうやむやになり、学ぶ機会を失っている可能性がある。 しかし、ここが大切でミスしない精神、ミスしても直ぐに修正する精神、修正するだけでなくミスしてロスした分それ以上のことをするという精神。これらの基本的な精神がスポーツでも養えるはずだ。これが社会に出ても応用の利く人間になっていける部分でもある。 精神面、人は心、やる気がまず大切。ドジでもしっかりとした精神が身に付いていれば、最初はできなくとも回数を重ねているうちにできるようになる。 世の中に「バカ野郎、バカ野郎」と言われ続けて昇進していった人間は数多くいるはずだよ。それを素晴らしく教訓にして一人前になっている。 社会人になれば本当の自立か?精神面もしっかり自立しているか? 会社内のプレッシャーに耐え抜く精神、自分のペースをしっかり自分の力で作るのも社会集団の中で生活している以上大切だと思う。人にペースを握られているということは、そのペースを握っている人間を責める、煙たがるよりもまず自分が苦しんで、努力して力をつける。そして初めて味方からパスを貰えるようになる。 僕は初めてプラジルでプレーした時ブラジル人からパスを貰えなかった。ミスするとどフリーなのにも関わらずパスが来なかった。おまけ付きに「ジャポネース、邪魔するな!!」と罵声。 「ああ俺は邪魔なんだ」と頭垂れてたら、もう二度とパスは来ない。 「うるさい、俺にボールをよこせ!!」と自分をかりたて、自分の居場所を精一杯確保するしか生き残りの方法は無かった。事実、まだそこまで覆すような実力がないと自分で解っていてもね。 一般社会でも似たような場面はいくらでもあるはずだ。僕はたまたまサッカーだったというだけ。最終的には皆精神力に繋がる。この精神を養うのは形式的にやるだけでは育たないと実感する。僕の創ったCOJBというサッカーチームはそのような精神を育成するところだと思う。生半可じゃやれない。サッカーの技術だけ指導して「お疲れさん」だったら僕にとっては物凄く楽なんだ。だって専門分野だもの。でもどうやらサッカーにも、それだけでは拭い去れない何かがある。それを僕は20年間必死で後輩達に伝えようとしているのだけど容易ではないよ。 こればかりは。 結局サッカーでしていることは社会にもそのまま関係し、その逆も言えるということ。 精神が鍛えられないと何事も中途半端、本当の意味での自立もないということ。
by cojb_column
| 2005-03-23 14:20
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